南船場の「大阪市立近代美術館(仮称)心斎橋展示室」(大阪市中央区南船場3、06-4301-7285)で5月26日、アメリカの民族楽器「バンジョー」を取り上げたイベント「まるいがっき:バンジョーにまつわるエトセトラ」が行われ約70人が参加した。
バンジョー奏者の原さとしさんと、IBMA(国際ブルーグラス音楽協会)の元理事で現在はブルーグラスの専門誌「ムーンシャイナー」編集長を務める渡辺三郎さんが、バンジョーにまつわる話と生演奏を通してその魅力を伝えた。イベント後は、実際にバンジョーに触れられるワークショップも開催し、参加者は用意された楽譜を見ながら思い思いに演奏を楽しんだ。
第1部ではバンジョーの歴史を紹介。1619年にアフリカから奴隷制度によってアメリカに連れて来られた人々が故郷の楽器を思い出して作ったのが始まりだというバンジョー。当初は「ウリをくり抜いたものに弦を3本張っただけのシンプルな構造だった」が、18世紀の産業革命でものが簡単に作れるようになったことで「形は丸く、木・竹・皮を使用したものに」変化し、19世紀には「工業製品」として大衆音楽に使用されるようになっていった。20世紀にはアメリカからイギリスやフランスへと広まり、「アールデコの装飾が施されたり絵が描かれるようになったり」とさらに進化を遂げていった。現在では4弦・5弦・6弦のもの、「バンジョーウクレレ」「バンジョーギター」などさまざまな形態に変化したバンジョーも見られるが、共通の定義は「形が丸く皮が張っているもの」だという。
第2部では、バンジョーと日本の関係をひもといた。アメリカ最初の大衆音楽「ミンストゥレル・ショー(白人による黒人音楽の演奏)」や、1849年アメリカで最初のヒット曲となったスティーブン・フォスター作曲の「I Came From Alabama with My Banjo on My Knee」など、バンジョーは「アメリカ音楽の歴史を形成した場面で使われた楽器」だった。太鼓のようにたたくと軽快な音が鳴り、「ウキウキするような音楽を奏でる」バンジョーの演奏は、1854年の日米和親条約締結でアメリカ人が来日し、日米交流会でその音色を披露した際、「日本人にも大きな衝撃を与えた」という。鎖国を続けていた日本人にとって、この時が初めて「西洋文化」に触れた歴史的瞬間。武士が描いたという、交流会での演奏会の様子を描いた絵を参加者に紹介、当時のバンジョーでの演奏も披露した。
「名前や形は知られていても、実際に音を聞いたのは初めてという方も多かったのでは」と渡辺さん。「歴史的・民族的要素のたくさん詰まったバンジョーを後世に伝えていかなければ、という思いでこうしたイベントを全国で開催している。1歩、2歩足を踏み入れて、バンジョーの魅力を味わってほしい」と話す。