-もともとはデザイナーを目指されていた。
DCブランドがブームだった15歳ぐらいの頃からファッションに興味があって、「ニコルのパンツが欲しい」などと話す中学生だった。ファッションデザイナーを目指して大阪モード学園に入学したが、20歳のときに東京・代々木で見たファッションショーの演出に感動し、演出の道に進むことになった。
そして在学中から演出専門の会社でアルバイトを始め、そのままその会社に就職した。最初はショーモデルのケータリングなど裏方の仕事をこなしながら、東京と大阪で修行を重ね、「東京コレクション」も体験することができた。
-その後、独立され、大阪を中心に活動されている。
2000年頃からいろいろとメジャー現場が仕切れるようになり、苦労もしたが次第に軌道に乗り、2002年頃からは全国で仕事ができるようになってきた。現在は、年間70~80ステージあるうちの半分ぐらいが大阪市内の仕事で、あとは全国各地で仕事をしている。
アメリカ村で会社を立ち上げ、一旦、堀江に行って、今はまたアメリカ村に戻ってきた。大阪を中心に活動しているし、大阪に住んでいるが、若い頃から大阪と東京を行ったり来たりしているので、「大阪魂」というか、「大阪だからこうじゃないといけない」という感覚はあまりないと思う。
-大阪の元気が無いとおっしゃっていましたが。
大阪には、ファッションが好きな若者が多く、マーケットは東京に次いで全国で2番目に大きい。そのような土壌があるのに、最近はちゃんとしたファッションイベントが行われていない。
また、PRやプロモーションといった分野では、一部分ではあるが非常にイベントクオリティが低い現場も表れている。具体的には、ポスターやフライヤーなどのデザインツールのしつらえ感や、ファッションショーのキャスティングのバランスが悪かったり。客の流れができていないなど雑なイベントが多く、「本物を知らない」のが問題だと思っている。
-なぜそのような質の低下が起こっているのでしょうか。
東京では、ちゃんとした本物の会社がちゃんとイベントを知っているので、当然クオリティが高い。そのような主流の動きが伝統的にある。
一方で大阪には、良き指導者、先駆者がいないことが問題だ。年配の人はまだ残っているが、自分と同じぐらいの中堅どころが8割方、東京に行ってしまった。大阪人の力量があれば、東京でも成功できる。
また、大阪は結束力が無い。人情はあるけど義理が無く、「行けたら行くわ」とかって言ってしまう。その点、東京では約束はきちんと守るし、義理のところでつながっている。何かしようと言い出したら、言い出した人間が責任を持ってやる。
-今後の活動について教えてください。
文化の衰退は経済の衰退と思っている。文化意識というか、プロダクトにしても、開発にしても、プロモーションにしても、クオリティが落ちると、すべてが落ちていくと思っている。
大阪にこだわりがあるわけではないが、大きなマーケットでもあるので、何もしないのはもったいない。「大阪のファッションがあかん」といっている自分が、若い人の手本になれるようにしないといけない。
今後も、大阪・東京に関わらず全国でイベントを行っていくが、ミナミを盛り上げるファッションイベントを仕掛けて行きたいと考えている。